昨日は千葉県の実家に帰りました🏡
テーブルを囲んで、家族で、たわいない話をするうちに、私の祖父(おじいちゃん)の話題になり、父が、いろいろ話してくれました✨
おじいちゃんは、山形の白井新田から東京へ出てきて、深川の長屋(端から2軒目)で魚屋をやっていたそうです。
その頃、父には2人の姉と産まれたばかりの妹がいて、第二次世界大戦になり、姉2人は学童疎開で新潟へ。祖母(おばあちゃん)と父と、その妹は、おばあちゃんの実家の埼玉県加須へ疎開。
そして、おじいちゃんは1人で東京にいたそうですが、1945年3月10日、11日に東京大空襲が。
10日は、おじいちゃんのいた場所のすぐ近くまで燃え、ものすごい熱風が吹き寄せるのを、たまたま近くにあった染め物屋の大きな壺の中に入って、凌いだそうです。
そして、今度は燃えたほうに逃げて、翌日の11日の空襲も、なんとか生き延びたそうです。
その時、父のいた加須からは、東京の方角が赤く染まって見え、11日の朝は、東京の方角の、一面、煙りで黒ずむ空に、茶色い太陽が見えたそうです。
おじいちゃんはダメかもしれない、、、
そんな気持ちでいた数日後、煤だらけで、ボロボロのおじいちゃんが、おそらくどこかで拾った自転車に、いろいろモノを乗せて牽きながら現れたそうです。
その後は、山形に家族で身を寄せ、それから、また東京へ。いろいろ苦労をしたそうです。
朝早く、船橋の魚市場へ行き、魚を仕入れ、売って歩き、時には新聞の売り子などもして日銭を稼ぎ、父や、その家族を養い、育て、70歳で亡くなった、おじいちゃん。
私が産まれた頃でした。
…昨日、そんな話をしていたら、壁にひっかけていたと思われる小物が「ポサ」っと音を立てて落ちました。
…おじいちゃん、いたのかな?😊
おじいちゃんを尊敬します✨
おじいちゃん、ありがとう❤️
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星名 (火曜日, 05 1月 2021 14:55)
おじいちゃん、いたのかな?・・・偶然ではないと思います。
高橋里実 (金曜日, 08 1月 2021 22:34)
星名さんも、そう思われますか?
私も、そんな気がしています♪
あれから、家でとアルルでと、キーボードの鍵盤が一つだけ『プルン』と動く現象が2回ほどあったのですが、なにか伝えようとしているのでしょうか☆